こととするVS.ものとする

all-time newbie

Senior Member
Chinese
This paragraph as shown in the pic is from a Japanese workbook.
My question:
「こととする」と「ものとする」の一般的な区別はなんですか?この文の中で置き換えられませんか?置き換えられないなら、理由はなんですか?
 

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  • all-time newbieさんが読んでいる文章のタイトルはなんですか。また作者は誰で、どんな内容の文章ですか。問題集に出典は明記されていないのでしょうか。
     
    all-time newbieさんが読んでいる文章のタイトルはなんですか。また作者は誰で、どんな内容の文章ですか。問題集に出典は明記されていないのでしょうか。
    すみませんが、文章はこれです
     

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    なるほど、その文章は「改正された「臓器移植法」が…厚生労働省がHPで内容をまとめた政策レポートの一部」ですね。出典は可能な限り遡って表示してください。また、ネット上に存在する場合は、URLも必須です。追加でご質問の箇所をテキストで引用します。これはスレッドの検索性を高めるために重要です。
    国及び地方公共団体は、移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。

    まず、出典から、この文章は官庁が臓器移植についての政策をまとめたものだとわかりました。官庁の文書には一般の書き言葉にはあまり用いられない表現が使われることがあり、それは法令用語などと呼ばれます。厚労省政策レポートは法令そのものではありませんが、法令で用いられる表現や構文を範例とする文体をもっていると考えられます。一般人の書く文章としては「記載することができるようにする等」とか「施策を講ずる」で十分です。後者について、特にこれからの方針であることを強調するならば「講じてゆく」などの表現を使えばよいでしょう。

    ある解説本*によれば、「ものとする」には次の用法があります。
    1. 「取扱いの原則や方針を宣言する」ことで「原則を示せばそれに従って行動することが期待される」という行政機関の性質に訴えかける表現である。文脈上「しなければならない」と対立する場合には「若干の裁量の余地がある」(91)。「「しなければならない」よりも弱いニュアンスをもつ」と解釈されることがあるが、「弱い」とは原則に対して例外が想定されるという意味である。
    2. 「適用(が)あるものとする」という構文で用いられるとき、権利・義務を明示しつつ、当該条文がその権利・義務の根拠ではないことに留意させる働き(92)
    3. 単なる語感による用法。「法文上の語感からつけられただけで、なくとも意味にはかわりがないというようなものがある。」(92)
    私が見た法令用語の解説には、この本を含め、「こととする」への言及がありませんでした。しかしe-Gov法令検索では「ものとする」6,515件に対し、「こととする」は1,390件のヒットがあるので、「こととする」は「ものとする」のややマイナーな類似表現と考えてもよいのではないでしょうか。同データベースでは
    できるものとする: 343
    できることとする: 73
    のようなヒット数があり、「記載することができることとする」も「ものとする」で言い換えが可能と思われます。

    とはいえ、「適用があることとする」は1件もヒットしないので、用法2については「ものとする」は「こととする」に置き換えが不可能です。


    *田島信威『法令用語の基礎知識』東京、ぎょうせい、1984年。https://dl.ndl.go.jp/pid/11896840
    この資料は国会図書館に利用者登録することで読めるが、国内からでないと登録できない。このポストで言及した箇所の解説として、
    とある法律職「法令用語を勉強しよう: 「ものとする」の意味」『法律ファンライフ』2021年10月11日。https://houritsushoku.com/archives/legal-term-shall-etc.html
    がインターネット上に存在する。
     
    You might find some information about the usage of both the construction "[V-(r)u] mono to suru" and "[V-(r)u] koto to suru" on this webpage of the website "Japanese with Anime", too.

    Flaminius said:
    「こととする」は「ものとする」のややマイナーな類似表現と考えてもよいのではないでしょうか。
    「ことする」は「ことする」の硬い言い方
    ことにする [連語] ❶ ある動作・行為が自分の意志で決めたものである意を表す。…こととする。
    「旅行は一人で行く━・した」明鏡国語辞典
    としても使われることがありますから,法的な文書以外で用いられる頻度は、「こととする」の方が「ものとする」より高いかも知れませんね。そういうこととも関係があるかも知れませんね。
     
    Thanks, Flaminius and Joschl.

    If I understand correctly, I guess here こととする should be interpreted in the sense of “deciding to do something”(ようにする) instead of “it stipulates that” while the ものとする here should be understood as “should”.

    Roughly translated, the text in the pic I posted together with my question should be something like:

    National and local public organizations should (ものとする)take necessary measures for transplant-surgery-related introduction and promotion among the public, such as making it possible (できることとする)that whether a person is willing to donate his or her organ(s) postpartum for transplant surgery is marked on the person’s driving license and medical insurance card.

    Am I understanding it correctly?
     
    I've found that the text actually was encoded as §17-2 in the first revision of the law, promulgated on 2009-07-17. The actual law reads:
    (移植医療に関する啓発等)
    第十七条の二 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解を深めることができるよう、移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。
    It's only different from the policy report text in the underlined addition.

    Looked at as a legal text, the article of law clearly uses ものとする in accordance with the accounts made by Tajima. The final ものとする sets forth a general principle for the Government and local municipalities (取扱いの原則や方針を宣言する). It would be redundant to interpret こととする as having similar principle-setting force. As it marks an example of policies necessary for materialising the principle (in fact, the sole illustration), "deciding to do something" is a good translation that captures the sense of this こととする. In a more general term, it expresses a planned action for more abstract goals.
     
    I've found that the text actually was encoded as §17-2 in the first revision of the law, promulgated on 2009-07-17. The actual law reads:

    It's only different from the policy report text in the underlined addition.

    Looked at as a legal text, the article of law clearly uses ものとする in accordance with the accounts made by Tajima. The final ものとする sets forth a general principle for the Government and local municipalities (取扱いの原則や方針を宣言する). It would be redundant to interpret こととする as having similar principle-setting force. As it marks an example of policies necessary for materialising the principle (in fact, the sole illustration), "deciding to do something" is a good translation that captures the sense of this こととする. In a more general term, it expresses a planned action for more abstract goals.
    I think I understand the two phrases better now. Thanks very much for spending so much time and effort doing research and providing such a detailed and helpful answer. I learned way more things than I expected when I posted this question.
    わかりましたと思います。そのように時間をかけて詳細に説明していただき、どうもありがとうございます。いろいろ勉強になりました。🙇‍♀️
     
    You might find some information about the usage of both the construction "[V-(r)u] mono to suru" and "[V-(r)u] koto to suru" on this webpage of the website "Japanese with Anime", too.


    「ことする」は「ことする」の硬い言い方

    としても使われることがありますから,法的な文書以外で用いられる頻度は、「こととする」の方が「ものとする」より高いかも知れませんね。そういうこととも関係があるかも知れませんね。
    You might find some information about the usage of both the construction "[V-(r)u] mono to suru" and "[V-(r)u] koto to suru" on this webpage of the website "Japanese with Anime", too.


    「ことする」は「ことする」の硬い言い方

    としても使われることがありますから,法的な文書以外で用いられる頻度は、「こととする」の方が「ものとする」より高いかも知れませんね。そういうこととも関係があるかも知れませんね。
    You might find some information about the usage of both the construction "[V-(r)u] mono to suru" and "[V-(r)u] koto to suru" on this webpage of the website "Japanese with Anime", too.


    「ことする」は「ことする」の硬い言い方

    としても使われることがありますから,法的な文書以外で用いられる頻度は、「こととする」の方が「ものとする」より高いかも知れませんね。そういうこととも関係があるかも知れませんね。
    Thanks a million. And I also checked the website you recommended. Very very helpful. Thanks again.
     
    「ことする」は「ことする」の硬い言い方
    質問者が問題にしている文において「こととする」→「ことにする」への言い換えは個人的に???です。

    #5のリンクの説明にある二つ目の用法だと思います。

    The phrase ~koto to suru ~こととする is another legal phrase. It seems to have two interpretations.

    First, it means the same thing as koto ni suru ことにする, except that it's used in official documents stipulating stuff.(chiebukuro.yahoo.co.jp:「~することとした」と「~することにした」)

    Second, if ~mono to suru stipulates that something ~mono da, then it follows ~koto to suru stipulates that something ~koto da. This sentence-ending ~koto da, or just ~koto, is typically used to say what is important, and, more practically, to list things someone should do.
     
    KLAUSED said:
    質問者が問題にしている文において「こととする」→「ことにする」への言い換えは個人的に???です。
    ここの文脈では「こととする」の法的文章内での使い方と意味が問題になっていることは,私も承知しています。私はFlaminiusさんの「ややマイナーな類似表現と考えてもよいのではないでしょうか」(#4)というお考えを受けて、「こととする」が「ものとする」よりマイナーな類似表現と感じられるのは、「こととする」が、法的な文章以外にも、「ことにする」の硬い表現として用いられることがあることとも関係があるのではないかと、その場で思い付いたことを申したまでのことです。それより深い意味はありません。誤解の元となってしまった様ですね。御免なさい。
     
    みなさん
    「こととする」⇔「ことにする」⇔「ものとする」
    というご意見なのでしょうか?

    一連の流れを読み返してみましたが
    (移植医療に関する啓発等)
    第十七条の二 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解を深めることができるよう、移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。
    についてFlaminiusさんは
    「記載することができることとする」も「ものとする」で言い換えが可能と思われます。
    とも
    It would be redundant to interpret こととする as having similar principle-setting force. As it marks an example of policies necessary for materialising the principle (in fact, the sole illustration), "deciding to do something" is a good translation that captures the sense of this こととする. In a more general term, it expresses a planned action for more abstract goals.
    とも述べておられるので、この文章においては「こととする」⇔「ものとする」⇔「ことにする」という言い換えが可能(法文での「ことにする」という表現の使用が適切であるかは置いておいて)であるというお考えなのだと思います。

    私自身はここでの「こととする」は”similar principle-setting force”を持っており「ものとする」への言い換えが適切であると考えます。
    また、
    移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとようにする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。
    のように書き換えることでより読みやすくなるとは思いますが、元の文章とはニュアンスが変わると思います。

    #5のリンクにある
    指針では、アプリが利用者の情報を取得する場合、情報の内容や目的を明記し、利用者の同意を得ることとした
    についても「こととした」⇔「ものとした」⇔「ことにした」が可能とみなさんが解釈されるのかが気になります。
     
    Last edited:
    KLAUSED said:
    みなさん「こととする」⇔「ことにする」⇔「ものとする」というご意見なのでしょうか?
    #5を書いた時点で私自身の脳裏に浮かんだのは,単に
    「ものとする」<->「こととする」<->「ことにする」
    の様な繋がりでした。現時点では、自分の語感に自信がないので、「保留」といった感じです。
     
    みなさん
    「こととする」⇔「ことにする」⇔「ものとする」
    というご意見なのでしょうか?
    私は、「こととする」=「ものとする」≠「ことにする」と思います。

    (移植医療に関する啓発等)
    第十七条の二 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解を深めることができるよう、移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができる(こととする・ものとする)等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずる(こととする・ものとする)

    理由は、上の法律の文章の当該箇所でどちらを選んでも全くOKだと私は思うからです。

    「ことにする」は口語であり、他の2つは文語表現(=硬い表現)ですので、上の当該箇所を「ことにする」と書くと法律を書いてある文章に口語が混じるので違和感があります。
    さらに「(本来はダメなのにズルをして)良いことに便宜上します」というようなニュアンスを含んだ意味に変わってしまいかねないのでヘンだと思います。これは多分口語で「いいことにする」という表現を使う場面が「いやだけど仕方がないので妥協する」的な場面が経験上多いことに基づく個人の感想なのだと思います。「いいこととする」と書くと、上から目線の「許可」でありイヤイヤの妥協感が(少なくとも表面的には随分)減ると私は思います。親と子、先生と生徒、お役人と人民の関係で、親または先生またはお役人は社会における立場上、ダダをこねることは許されずクールを装っていなければならないからだと思います。
    (他のメンバーのおっしゃっている論点とは別の立場からの意見と思いますので、他のメンバーの御意見を否定するものではありません。
    多分、KLAUSEDさんの論点と似ているのではないかと思って書いていますが、これまた違っていたならすみません。)
     
    Last edited:
    私は、「こととする」=「ものとする」≠「ことにする」と思います。
    私も問題になっている文については同意見です。

    ことにする [連語] ❶ ある動作・行為が自分の意志で決めたものである意を表す。…こととする。
    「旅行は一人で行く━・した」明鏡国語辞典
    と辞書では定義されていますが、「こととする」で言い換えた
    旅行は一人で行くこととした
    という文は不自然だと思います。

    同じく明鏡国語辞典で「こととする」の例文として挙げられている
    ことと‐・する  〘連語〙 「…ことにする」のやや硬い言い方。→ことにする 「貸し出しは今後一切廃止する━」
    については
    貸し出しは今後一切廃止することにする
    に言い換え可能だと思いますが、元の例文とはニュアンスが違うと感じます。
     
    私は,「こととする」と「ことにする」という構文が、ある文脈において、文体は違っても、同じ意味で取られることもある様だと言っただけのことです 。それと,法的文書における「こととする」のマイナーっぽい位置付けと,間接的に関係があるのかもと想像を述べたに過ぎません (#5)。ですから,「こととする」と「ことにする」の関係を図式化した際にも, "「こととする」=「ことにする」" ではなくて "「こととする」" <-> 「ことにする」"と書きました。誤解を避ける為に端折らずにもう少し細かく書くなら、
    「ものとする」<-> 「こととする1」/「こととする2」 <->「ことにする」
    の様になるのではないかと感じています。

    法的な文書における「ものとする」と「ことにする」との繋がりは、私は素人なので、分かりません。「ものとする」と「ことにする」の繋がりを図式化するのであれば、「ものとする」自体を、「こととする1,2,...」と同じように、細かく区別しなければならないだろうと思います (「ものとする1,2,...」)。何れにせよ、私に知識がない分野について色々と個人的な意見を述べても仕方がないので、「保留」にすると申した訳です (#13)。日本語の法的文書で慣用的に用いられる表現に精通した方に説明して頂きたいですね。
     
    「ものとする」<-> 「こととする1」/「こととする2」 <->「ことにする」
    これは#5で挙げられたリンクで解説されており要点は#10で引用した通りです。

    「ものとする」自体を、「こととする1,2,...」と同じように、細かく区別しなければならないだろうと思います (「ものとする1,2,...」)。
    「ものとする」の(法令での)用法についてはFlaminiusさんが#4で解説済みです。

    追記:「こととする」と「ことにする」については「と」と「に」の違いに着目したこちらの説明が当を得ているのではないかと思います。
     
    Last edited:
    KLAUSED said:
    追記:「こととする」と「ことにする」については「と」と「に」の違いに着目したこちらの説明が当を得ているのではないかと思います。
    なるほど。
     
    みなさん
    「こととする」⇔「ことにする」⇔「ものとする」
    というご意見なのでしょうか?
    いろいろあって返信が遅れました。

    私は#4と#7で少し態度を変えています。最初は「記載することができることとする」における「こととする」は「ものとする」に置き換えてもよいとおもっていたのですが、これが法律の条文であることを知ってからはそうではないと考えています。

    まず、田島(1984)に従って文末の「ものとする」を「取扱いの原則や方針を宣言する」意味にとると、この「こととする」に"similar principle-setting force”を認めることはできなくなります。すでに挙げましたが、「こととする」直前の券面による意思表示が条文末にある原則または方針を体現する具体例であること、仮にこれが原則・方針を宣言する「こととする」だとすると一つの条文で2度の原則定立が行われることになり冗語的であることの二つが理由です。

    次に、この「こととする」がなんであるかと問えば、私は依然、未来の行動目標であると考えます。ここにさらに指示命令的用法を認めてよいかどうかは、判断しかねています。法令や行政の定める指針、手引きにおいては例示が命令とほぼ同じだという言語外の理由で、この「こととする」が命令に理解されるという、いわば語用論的な解決もそれほど無理のない解釈だからです。

    仮に「こととする」に指示命令的用法が文法的に備わっているとしても、「ものとする」が原則定立的なのに対し、「こととする」が特定指示的というような違いがあるのかもしれません。検索語によるヒット数の違いを以下に見る通り(Edit: 法令検索を使用した。例。)、
    ものとする 6,523件、ものとする。 6,495件
    こととする 1,391件、こととする。 846件
    「ものとする」が圧倒的に文末で使用されるのに対し、「こととする」はその40%が文中で使用されています。第17条第2項が文中に具体的内容を、文末に一般原則にあたる内容を持つ構造に、この割合がよく当てはまります。
     
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