すら vs. さえ

kubek

Member
Polish
Hello!

Would you rather say 「先生でさえ間違えてしまう」or「先生ですら間違えてしまう」? Would you consider the second sentence incorrect?
 
  • The two words have basically the same meaning, and are more or less interchangeable. さえ is used more frequently, especially in speech, while すら tends to be seen mostly in writing.

    But what are you trying to say in English? Even the teacher makes mistakes? If that is the case, I might use "先生でも/先生だって."
     
    Yes, I wanted to say "Even the teacher makes mistakes".

    In this video (around 6:30) the teacher says that the sentence "先生ですら間違えてしまう" isn't exactly right, so I was curious what people here would say.
     
    Last edited:
    ビデオでは、「さえ」も「すら」も極端な例を挙げることに使われるが、「さえ」の場合は"高い程度"を表す例を挙げることに使われることが多く、「すら」の場合は"低い程度"を表す例を挙げることに使われることが多いと主張されています。教師の方は、「三角でいいですか。バツではない。はてなにしましょう。」と仰っています。私は「言われてみれば、そうだな。」と感じます。決定的な文法的な違いは、「さえ」には仮定条件を表す句の中で用いられる用法があるが、「すら」にはそれがないということですね。
    すら《参考》「さえ」に比べると文語的。また「さえ」と異なり、仮定条件を表す句の中で用いられる用法はない。→さえ「」学研国語大辞典
     
    この例ではどちらも正しいように思います。
    ビデオで挙げられている例文:
    (a)「この事は親にすら話していない」
    は講師の理論に従えば
    (b)「この事は親にさえ話していない」
    でなくてはいけないはずです((a)は△で(b)が〇)が、(a)を例文として挙げていることからも分かるように
    そこまで厳密に区別していないというのが実情ではないでしょうか。
     
    Hello!

    Would you rather say 「先生でさえ間違えてしまう」or「先生ですら間違えてしまう」? Would you consider the second sentence incorrect?
    No. I think both are correct and interchangeable, even after watching that video.

    選択問題で正解・不正解と断言できるほどの違いを、一般の日本人は認識してないと思います。
    ビデオの講師ですら、奥歯にものが挟まったような解説をしていましたよね。
    極論すれば、いわゆる「机上の空論」的な、「言語学者バカ」的な類のトリビア?

    N1で出題されるとすれば、
    「あなた(さえ・すら)死んでくれたら私は思い残すことはない。どちらが正しいか?」
    という用法での設問だけではないでしょうか。
     
    Last edited:
    ビデオをもう一度見てみましたが、例文「この事は親にすら話していない」の「親」は、"低い程度 (一番近い人間関係)"の例として使われているので、講師の方の説明通りということになると思いますが... ホワイトボードの右側の例文を使った説明では、"低い程度"を表す例の場合には、「すら 〇」も「さえ 〇」も使える。"高い程度"を表す例の場合にも、「さえ 」も「すら 」も使えるが、「さえ 〇」が使われる頻度の方が「すら △」が使われる頻度より高いと感じていらっしゃる様ですね。

    まあ、こういうものは、使用傾向に関する統計的な資料がなければ判断する手掛かりもないので、何とも言えませんね。講師の方が使用頻度をどの様にお調べになったのかも分かりませんし。
     
    「だに・すら・さえ・のみ・ばかり・まで・など・し」の使い分けを(あえて)言語化するとどうなるのか、同じ講師の先生のビデオを見てみたい気がします。
    「先生だに間違えてしまう。」「先生だに間違うことを禁じえなかった。」はアリかナシか、的な。
    だにの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典
    参考
    (2)②の意味では「すら」「だに」と共通するが、「すら」は上代、「だに」は中古に多く用いられ、中世以降は「さへ」が用いられるようになる。
    その言葉が生み出された歴史や、時代ごとのはやりすたりも関係しているみたいですね。
     
    ビデオをもう一度見てみましたが、例文「この事は親にすら話していない」の「親」は、"低い程度 (一番近い人間関係)"の例として使われているので、講師の方の説明通りということになると思いますが...
    一番近い関係="高い程度"と勘違いしましたが、一番近い関係の親にすら話していない=それより遠い関係の人には話すわけもない、ということでおっしゃる通り講師の説明には矛盾ありませんね。
     
    「すら」と「さえ」に先行する名詞が「低い程度」のグループに入るのか「高い程度」のグループに入るのかは、最終的には発話する本人の見方によって決まるので、名詞だけを見ても分かりませね。講師の方が主張されていることを端的に纏めると、
    -「すら」も「さえ」も基本的に同じ意味で使える。
    -「低い程度」を表すために用いられる例には、「すら〇」も「さえ〇」も同じ様な頻度で使われている。
    -「高い程度」を表すために用いられる例には、「さえ〇」の使用頻度の方が「すら△?」のそれより高い。
    -「さえ」は、「低い程度」を表す例にも「高い程度」を表す例にも使えるし、仮定条件を表す表現とも使えるので、
    先ず「さえ」を覚えると便利。
    といった感じになるでしょうか。「すら」と「さえ」の使用の違いの有無については、統計的な資料がない限り何とも言えませんが、個人的には自己観察をしてみよと思います。

    因みに、出口日語の「~さえ」のビデオは, こちら。「~さえ ~ば」のビデオは, こちら。講師の方は「TRY!日本語N3」という教科書/文法書を使っているようです。
     
    ビデオでは、「さえ」も「すら」も極端な例を挙げることに使われるが、「さえ」の場合は"高い程度"を表す例を挙げることに使われることが多く、「すら」の場合は"低い程度"を表す例を挙げることに使われることが多いと主張されています。教師の方は、「三角でいいですか。バツではない。はてなにしましょう。」と仰っています。私は「言われてみれば、そうだな。」と感じます。決定的な文法的な違いは、「さえ」には仮定条件を表す句の中で用いられる用法があるが、「すら」にはそれがないということですね。
    真逆・正反対だと思います。さえ・さへ は最低限度を、すら は最高限度を表すものに違いありません。
    理由:
    1.語感から見て:
    東大教授(で)さえ知らない、とか、子供(で)すら知っている、とか言うのは、私には、いささか違和感があります。私ならば、東大教授(で)すら知らない、子供(で)さえ知っている、と言います。
    2.古文の例文から考えて:
    下記のリンク先の例文でも、
    聖(ひじり)すら=高僧のような最高の方(かた)でも、

    毛の穴さへ=毛の穴という最低条件のものでさえ、ましてや、他の物たち、という、想定対象の外延の追加部分は当然、
    という意味になっているのだ、と思います。
    【古典文法】副助詞「だに・すら・さへ」 - 合格サプリ
    3.推定される語源によって:
    A. すら
    すら は、擦る/する の未然形で、ゆるぎない=ゆるがない、百合・ユリ・揺り=揺れ=ゆらゆら、振り=振れ=ふらふら、うらみずや=うらまずや、こぬ=きぬ、見ず・見ない や 食べず・食べない では未然形と連用形が共用、などの事実から、未然形と連用形が併用されていた時代があったらしく、すら=擦り であった時代があったものでしょう。博打(ばくち)で金を擦る や、すらすら・するする(=つっかえや滞り/とどこおり がなく)や、すらりと(=贅肉/ぜいにく をそぎ落とした。ちなみに、仏道にはいるときに、剃髪/ていはつ してしまうことも、そぎ落とす。)という表現で見られるように、すら=すり は、最高のものたちをも、そぎ落とし、引きずりおろして考えても、という意味だったらしいです。
    B. さえ < さへ
    英語のabout の語源が・・・の辺り(あたり)・辺(へん)に だったのと同じく、
    ・・・は=・・・(の)へ(水辺/みずべ、岸辺/きしべ の へ)
    = About/Regarding/Concerning だったらしく、・・・は・・・。は、「お母さんは(どこ)?」とか、「東京は(どこか、と言うと、)神田/かんだ の生まれ。」から分かるように、自問自答の形式だったらしいですので、
    さへ は、さへ=さは=それは、まあ(取り立てて言うまでもないし、よって、他のものたちも、当然、・・・)という長たらしい句の、上記の括弧内を省いた/はぶいた 表現だったと思われます。

    一番近い関係="高い程度"と勘違いしましたが、一番近い関係の親にすら話していない=それより遠い関係の人には話すわけもない、ということでおっしゃる通り講師の説明には矛盾ありませんね。
    勘違いではなかったのだと思います。拙・投稿内容を御高覧ください。つまり、親とは、本来(「毒親」でない限りは)最高の庇護者・保護者であるはずの存在ですので、最高のものを表す すら で宜しいかと存じます。
     
    Last edited:
    勘違いではなかったのだと思います。拙・投稿内容を御高覧ください。つまり、親とは、本来(「毒親」でない限りは)最高の庇護者・保護者であるはずの存在ですので、最高のものを表す すら で宜しいかと存じます。
    講師自身の説明は矛盾していないと思います。kimko_379さんのすら/さえの使い分けが講師とは正反対(とご自身でもおっしゃっていますが)のため「親にさえ話していない」「親にすら話していない」に対するしっくり具合が講師とは逆になっているだけかと。

    私自身は
    そこまで厳密に区別していないというのが実情ではないでしょうか。
    という意見です。

    これはまだ自分の中でしっかりと整理できていないのですが、しっくりくるこないは、すら/さえだけでなくその後に続く肯定/否定にも影響されるような気がします。

    (a) 東大教授でさえ間違う。
    (b) 東大教授ですら間違う。
    (c) 東大教授ですら知らない。
    (d) 東大教授でさえ知らない。
     
    KLAUSED said:
    講師自身の説明は矛盾していないと思います。kimko_379さんのすら/さえの使い分けが講師とは正反対(とご自身でもおっしゃっていますが)のため「親にさえ話していない」「親にすら話していない」に対するしっくり具合が講師とは逆になっているだけかと。
    同感です。「さえ」と「すら」の語感の個人差の幅は、広い様ですね。
     
    Back
    Top