私は日本語の"
Valency dicitionary"の様なものを持っていないので、「公式」な構文が調べられませんが、「できる」自体の重要な補足語のポジションは、
であると感じます。"([
誰か]に)"はなくてもOK。...という感じなので、私自身は、"[
誰か]は、[
何か]ができる"という構文は"[
何か]ができる"という構文に、外から"[
誰か]は"が添えられたものか、"[
誰か]には"の助詞"に"が省略されたものと見ています。ここで注意した方が無難だと感じることは、助詞「は」と「が」の問題とも関連していることですが、提題の「は」は文全体に係ることができるが、「が」は節にしか係ることができないということです。出現できるポジションが同じに見えるからというだけで、単純に「『は』が立てる場所には『が』も立てるし、またその逆も然り」などと考えるべきではないでしょう。
既に#4で申しましたが、"[
誰か]が"という補足語を"[
誰か]に"から導き出すことには無理があると思います。導くとすれば、
無題文から題目を持つ判断文、判断文から強調構文を経て,そこから"強調/排他 の「(外ならぬ)[
誰か]が」に辿り着くとい手順を踏むことになるのではないかと思います。つまり、
1. 無題文: [何か]ができる。
2. 有題文: [誰か]は、[何か]ができる。
3. 強調構文: [何か]ができるのは、[誰か]だ。
4. 強調排他の「が」: [誰か]が[何か]ができる。
という感じになるかと思いますが、
ichfrageさんのご質問は「『に』を『が』に変換できるか」というものですから、私の答えは「NO」です。
もう一つは、「できる」自体は「ヲ格」を取ることができるのかどうかという問題ですが、私自身が注目したいのは、「する」が使われる構文といわゆる「可能動詞」からの影響です。現在では「する」自体を可能形に変えることはなく、その代りに「できる」を使います。"[
X](を)する"の様な「スル構文」は、
1.「ことができる」で拡張させるか、
2.「する」自体を「できる」に置き換えるかにより、変化させることができるでしょう。そうでなければ、
3.「できる」自体の構文"[
X]ができる"を使うことになるでしょう。
つまり、大雑把に見ると、
[勉強]する
-> [勉強]することができる
/ [勉強]できる
| [勉強]ができる
[何か]の[勉強]をする
-> [何か]の[勉強]をすることができる
/ [何か]の[勉強]をできる
| [何か]の[勉強]ができる
ということになると思います。語感の分かれ目は、

でマークされた文の判定に現れるだろうと思います。つまり、ある人には「許容範囲外」と感じられ(
私自身はこの類に入ります)、ある人には「許容範囲内」と感じられるでしょう。
更に可能動詞の構文でも「が」と「を」の競り合いを見ることができます。元の動詞が「ヲ格」を取る場合に、その動詞が可能動詞として用いられると、元の動詞の「ヲ格」を受け継ぐか、「可能」の意味の影響で「できる」と同じ様に「ガ格」を取ることになります。
文章
を「書ける人」と「書けない人」のちがい
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「できる」の結合価について考える時、最低でもこれらのことを考慮する必要があると思います。インターネット上で見付けることができる構文に「A」も「B」も「C」も「D」も有る場合、構文の表面だけでは感じることができない繋がりを慎重に見る必要があると思います。ですから、「A」も「B」も「C」も「D」も"有る"からというだけで、単純に「A」も「B」も「C」も「D」も同等に「アリだ。」とは言えないでしょう。また、該当する例文がどれ位の比率で見付かるのかという数量的な違いも考慮しなければならないことは言うまでもありません。