感動もの

Kenshiromusou

Senior Member
Portuguese — Brazil
Good afternoon, friends. Could you help me again? Reading another animator's interview, I came across 感動ものでした.
この作品は私がこの仕事について初めての本格アクションで、見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動ものでした。
I know the expletive memorial form 感動するものだ、but searching about, I found 感動もの= "涙が出るほど嬉しいさま" (dictionary) and 感動する事柄。I think animator meant mental state, but it's better to confirm.
What' is the difference between "(...)キャラクターの美しさは感動ものでした" and "(...)キャラクターの美しさは感動するものでした" ?
Thank you very much in advance.
 
  • I think the author uses "-mono" there as a suffixoid between a noun and a suffix.
    もの ⓠ 《名詞に付いて複合語を作る》
    ㋐ それに所属する・関係する、などの意を表す。「春━の服」「男━・女━」「縁起━・時代━
    ㋑ まさにそれに相当する、の意を表す。「冷や汗━・表彰━・眉唾まゆつば━」
    明鏡国語辞典
     
    Joschlさん, do you think animator says "感動する作品でした/感動した作品です"?
    Thank you very much.
     
    この作品は私がこの仕事について初めての本格アクションで、見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動ものでした。

    My attempt:
    This was my first real action story on this job, and the impressive still pictures and the beauty of the characters were very moving to me.

    What is the difference between "(...)キャラクターの美しさは感動ものでした" and "(...)キャラクターの美しさは感動するものでした" ?

    I think the latter would make the characters the subject, saying that they were moved. 感動もの sort of makes 感動 work like an adjective here. I think we could rewrite the original as 見応えのある止め絵、キャラクターの美しさ[私が]感動した。
     
    見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動ものでした。 something impressive
    =見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動を与えるものでした。something that gives a sansation
    =見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動を私に与えるものでした。something that gives me a sansation
    =見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは感動に値するものでした。something worth being impressed by
    =見応えのある止め絵、キャラクターの美しさは私が感動するに値するものでした。 something that is worth impressing me

    始末書ものだな・ひんしゅく(顰蹙)もの・感動もの・勲章もの etc. are set phrases.
    You may remember them as a set phrase.
     
    Last edited:
    Kenshiromusou said:
    Joschlさん, do you think animator says "感動する作品でした/感動した作品です"?
    "感動もの" here is synonymous with "感動的な作品" or "感動的なもの". Because the compound with suffixoid "X-mono" is used for characterising the work (作品) from the author's perspective, you could also say something like
    これは、[...], (私が)見応えのある止め絵やキャラクターの美しさ感動させられた作品でした。
    この作品の見応えのある止め絵やキャラクターの美しさは、感動させられました。
    この作品の見応えのある止め絵やキャラクターの美しさ(_)は、感動的でした。, etc.
    I personally would use the phrase "感動的なもの" instead of the compound "感動もの" in the above context because the meaning of the compound there is not significantly more specific than that of the phrase.
     
    Last edited:
    Joschlさん, gengoさん、SoLaTiDobermanさん、もう一度どうもありがとうございました。:thank you:
     
    私の知っておりますのは、噴飯もの だけです。
    調べてみましたら、『逆引き広辞苑』も、コロケーション(=連語=語結合)辞典である『てにをは辞典』も、一部の接尾辞は見出しに掲げている『分類語彙表』も、その他の「シソーラス」・「類語辞典」も、「・・・もの 」は一切 載せておりませんでした。国内外のコロケーション辞典に学んでいないようです。その他、『日本語を学ぶ人の辞典』以外は、『広辞苑』も、『明鏡国語辞典』も、『新明解国語辞典』も、定義用 基礎語彙を、海外の語彙論・語義論(lexicology)・辞書編集論(lexicography)に学んで設定してもいなくて、国内外の初級・中級の日本語学習者には使い物にならないです。
     
    「感動的だ」とか「感動的なものだ」と言えば済む所で、わざわざ「感動もの」という言葉を使うだろうかと考えてみましたが、私自身の答えはNoですね。

    X-もの」の「-もの」を名詞として扱うか接尾辞として扱うかという問題は別にして、複合語や派生語の意味は、語の繋がりの意味よりも狭くなり、特殊化される傾向があるのが普通なのに、元の文での「感動もの」には、その傾向がないように感じます。インターネットで「感動もの」を検索してみたところ、その例は、私が予想していた以上に見付かりましたが、辞書に掲載されるほど語彙化は進んでいないのではないかと思います。

    日本語の形態論的な分析は、仮名表記に引っ張られてしまうので、日本語を勉強される外国人の方々には、向いていないと思います。伝統的な学校文法を一般言語学的な目線で解釈し直さないと外国の方々にはピンと来ないことは多々あるだろうと思います。
     
    「感動的だ」とか「感動的なものだ」と言えば済む所で、わざわざ「感動もの」という言葉を使うだろうかと考えてみましたが、私自身の答えはNoですね。
    これに同意しますが、だからといって直ちに
    "感動もの" here is synonymous with "感動的な作品" or "感動的なもの".
    であるとはいえません。

    kimko_379さんの例をとって「噴飯もの」とは「噴飯的な作品」「噴飯的なもの」であるということは、かなり困難だからです。この用法の「もの」で私の知っている例は「失笑もの」と「爆笑もの」だったのですが、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を使って次のような用例を発見しました。
    1. たまりかねて、井伏さんに手紙をさし上げた。さうしてこれは実に苦笑ものであるが、私は井伏さんの作品から、その生活のあまりお楽でない…
    2. ―山伏殿にはかかる民の杞憂はご一笑ものか。
    名詞とナ形容詞語幹を区別するのは難しいです。なぜなら両者は容易に相互に通用するからです。しかし、例文2の「ご一笑」は明らかに名詞接辞「ご」をもち、このスレッドで扱っている「〜もの」は一般に、「名詞 + もの」という構造をもつと考えられます。

    「名詞 + もの」という構造において「もの」の果たす役割を明らかにするため、例文1を検討します。この箇所は芥川龍之介が井伏鱒二に手紙を出した時の様子を自分で描写している文章の一部です。「苦笑もの」が、手紙を書いた時の自分の様子を思い返してみると苦笑してしまうという意味で使われています。手紙を書きつつ苦笑しながら井伏の困窮ぶりに触れたとは解し難いです。

    調査の範囲を広げて、国会議事録に次のような文を見つけました。
    3. 冗談じゃないですよ。そんなことでいいんですか。懲戒物ですよ、本来ならば。

    例文1と例文3から帰納的に、「名詞 + もの」には、一般的には「名詞」に値するが発話者個人の判断は保留するというニュアンスがあると考えられます。形容詞にして「感動的だった」といえば、発話者が感動したと解釈してよいでしょうが、「感動ものだった」には発話者と感動の間に距離が感じられます。このような立場は、作品を通じて受け手を感動させようと腐心するクリエイターの態度としてなら妥当です。しかし視聴者が「あのキャラクターの美しさは感動ものだったねえ」というなら、他の視聴者の感動に水をさすことにもなります。話者と感動との距離が、これに感動するのは高尚な感性を持たない有象無象の証拠であるのような含意を産むからです。

    例文3についても、両義性が確認できます。公正を旨とする立法府での議論に相応しい客観的な話法をとっていると解釈することもできれば、糾弾すべき事柄を自分の名前と責任において糾弾しない卑怯さをみてとることもできるでしょう。

    「名詞 + もの」の「もの」は名詞部分に上述のニュアンスを与える接辞であって実質は名詞として機能していないと考えられます。決定的な証拠としては「苦笑ものの出来事」(苦笑を引き出すような出来事の意で)のような連体修飾句としての用例が欲しいところですが、今回私には見つけることができませんでした。
     
    私が#7で
    "感動もの" here is synonymous with "感動的な作品" or "感動的なもの".
    と申した理由は, 私自身は,
    「感動的だ」とか「感動的なものだ」と言えば済む所
    であると感じるからであり、Flaminiusさんが仰る様に
    形容詞にして「感動的だった」といえば、発話者が感動したと解釈してよいでしょう[...]
    と思うからです。私自身には、少なくとも元の例文の文脈において、Flaminiusさんが指摘されている
    「感動ものだった」には発話者と感動の間に距離が感じられます。
    という違いが感じ取れません。この理由から、私は、この文面でWord formationに頼る必要があるか疑問だと申した訳です。
    私もFlaminiusさんが仰る様に
    「名詞 + もの」の「もの」は[...]接辞であって実質は名詞として機能していないと考えられます。
    と思いますよ。それは、既に#2で主張したことですし。それから、Flaminiusさんの
    [...]「〜もの」は一般に、「名詞 + もの」という構造をもつと考えられます。
    という見解にも同意しています。私自身は、Flaminiusさんが仰る様に
    名詞とナ形容詞語幹を区別するのは難しい[し、...]両者は容易に相互に通用する[...]
    ので、接尾辞「-もの」に接続できる品詞が名詞だけではなく,ナ形容詞にまで広がったのかなと感じている所です。他にも「ナ形容詞語幹+もの」と取れる形の例があるのか、その例がいつごろから記録されているのか、調べてみるのも面白いかも知れないなと感じています。
    「名詞 + もの」には、一般的には「名詞」に値するが発話者個人の判断は保留するというニュアンスがあると考えられます。
    なるほど。勉強になりました。有難うございます。
    決定的な証拠としては「苦笑ものの出来事」(苦笑を引き出すような出来事の意で)のような連体修飾句としての用例が欲しいところですが、今回私には見つけることができませんでした。
    そういった用例がどの程度見付かるかは、私が#10で申しました様に、「名詞/(ナ形容詞)-もの」の語彙化の度合いに寄るでしょうね。
     
    Last edited:
    Back
    Top