罰する=>罰せられる

kaven-ever

Senior Member
Chinese
こんにちは、皆さん。
「罰せられる」から引き出した質問です。疑惑に思う箇所は二つがあります。
1:過ちを犯したら、罰せられるべきだ。
罰せられるは受身形ですか、それとも使役+受身の混合形ですか?
2:罰するはサ変動詞で、教科書により受身形と受身+使役の混合形はそれぞれ罰されると罰させられるであるはずです、これについて、yahooで答えを探してみました、そして、この文章を見つけました。
yahoo知恵袋:「罰する」の受動態はなぜ「罰せられる」になるのですか?「罰される」とは言いませんよね。
長文ですので、拝見したらちょっと混乱して読み取ったのかどうか確定できません、一応自分の理解をまとめさせていただきます、
1:サ変[する]の未然形は[せ]、[し]、[さ]三つがある。
2:漢字二字の単語の変形は一定である。たとえば「努力する」の未然形は「努力しない」、受身形は「努力される」。
3:漢字一字の単語の変形は漢字音の発音次第である。(ルールはなさそうですね、発音の便利のため変形するのですか?)
理解できない箇所:
1:「サ変「する」は上一段・五段との混合がすべてにわたって」と書いた、どうしてサ変は上一段・五段と関わっているのか?(日本語の動詞は上一段、五段、サ変とか変に分けるでしょう、お互いは赤の別物ではありませんか?)
2:「五段化に抵抗がありません」、「抵抗」は具体的に何を指しますか、サ変動詞を五段化動詞に転じる傾向ですか?(たとえば、科する->科す)

質問は複雑で、説明をはっかり作ることはちょっと手に負えないので、過ちがあるかもしれません、すみません。
 
  • wind-sky-wind

    Senior Member
    Japanese
    五段では未然形は「ア段」です。
    上一段では「イ段」です。

    サ変は古語では未然形は「せ」のみだったのが、
    現代語になって「さ」「し」「せ」の3つになったことから、
    ア段の「さ」の場合に五段との混同が、「し」の場合に上一段との混同が見られることになります。

    古語のサ変は「(○○)す」
    現代語は「(○○)する」です。

    古語では「愛す」だったのが、現代語になって「愛する」となりつつも、
    「愛す」が残りました。
    ただし、五段として。

    「生ずる」のような現代語も、古語では「生ず」

    しかし、未然形に「じ」が使われることから、上一段と混同され、
    そこから「生じる」という表現が生まれることとなります。

    ご存じでしょうが、「れる」「られる」は受身だけでなく、尊敬・可能・自発となります。

    「努力する」は「英語を努力する」と言えなくもないですが、自動詞であり、
    「努力される」は受身には感じず、尊敬にしか感じません。
     

    DaylightDelight

    Senior Member
    Japanese - Tokyo
    罰せられるは受身形ですか、それとも使役+受身の混合形ですか?
    -> 受身です

    どうしてサ変は上一段・五段と関わっているのか?
    -> wind-sky-windさんの説明の通り、未然形の音が同じになるケースで、混用が発生しました。

    「抵抗」は具体的に何を指しますか、サ変動詞を五段化動詞に転じる傾向ですか?
    -> おっしゃるとおり、「サ変動詞を五段動詞に転じる傾向」に対する抵抗です。
    抵抗が少ない、すなわち混用 -> 転化されやすいということになります。

    「罰せられる」が本来の形、「罰される」は混用から生じた比較的新しい形といえるでしょう。
     

    wind-sky-wind

    Senior Member
    Japanese
    「感じず」という表現を使いましたが、
    古語では終止形「感ず」、未然形は「感ぜず」

    現代語になって、「感ずる」「感じる」の両方が使われ、「感ず」も使うかもしれません。

    未然形は「感じない」が普通で、「感ざない」「感ぜない」とは言いません。
    「ず」は現代語にも残っていますが、「せず」とは言っても、
    「感ぜず」とはほとんど言いません。

    「感じず」としか言わないのは「感じる」が定着しているせいでしょうか。

    正直申し上げて、ネイティブにとっては何活用かは問題ではないんですね。

    学生は「書く」は「書かない」だから五段、
    と覚えていくのですが、本末転倒で、
    「書かない」と出てくればそれですべてです。

    逆に日本語学習者にとっては、
    「書く」は五段活用と覚えて、
    だから「書かない」となるわけです。
     

    hitori

    New Member
    Japanese - Japan
    こんにちは。無駄に長文になってしまいましたが、また、他の方とかぶっている部分もありますが、ご容赦ください。

    1:過ちを犯したら、罰せられるべきだ。
    罰せられるは受身形ですか、それとも使役+受身の混合形ですか?
    「罰せられる」はサ変動詞「罰する」の未然形「罰せ」+受身の助動詞「られる」です。
    教科書に書いてあると思いますが、受身の助動詞「れる」「られる」は前の動詞を未然形にします。

    仮に、使役の助動詞「せる」の未然形「せ」+「られる」だとします。使役の助動詞「せる」は前の動詞を未然形にします。
    しかし、それではサ変動詞「罰する」の未然形「罰さ」「罰し」「罰せ」にあるべき「さ」「し」「せ」がありません。
    つまり、使役+受身ではないのです

    2:罰するはサ変動詞で、教科書により受身形と受身+使役の混合形はそれぞれ罰されると罰させられるであるはずです
    おっしゃる通り、「罰される」は未然形「罰さ」+受身の助動詞「れる」、ですね。
    しかし、「罰される」は「罰せられる」と比べて、正式ではないという印象を私は持ちます。誤用ともいえないですが。
    「さ」「し」「せ」のどれを使うのがより正しい(と日本人が感じる)かはこのコラムを読むとわかるかもしれません。
    サ変動詞の細かい分類によって、活用の使用傾向が違うことが、グーグル検索を利用することで示されています

    「罰させられる」は確かに、未然形「罰さ」+使役の助動詞「せる」の未然形「せ」+受身の助動詞「られる」ですね。
    AがBを罰することができる立場にあり、CがAに対して、AがBを罰するように強いるとき、「(AはBを)罰させられる」のです。
    これが使役+受け身ということです。CがAを使役しており、それを受身によってAを主体に変えています。
    例を言えば「裁判官は法律と自らの良心によって判決を下すべきだ。裁判官が世論によって被疑者を罰させられるのはおかしい」等です

    罰というものは何かから強制的に与えるものです。その印象のせいで誤解されたのかもしれませんね。

    一応自分の理解をまとめさせていただきます
    1:サ変[する]の未然形は[せ]、[し]、[さ]三つがある。
    そうです

    2:漢字二字の単語の変形は一定である。たとえば「努力する」の未然形は「努力しない」、受身形は「努力される」。
    いえ、未然形は「努力さ」「努力し」「努力せ」の三種類あります。
    ただし、動詞を未然形に活用させる助動詞は大きく分けて4種類あり、それぞれの助動詞の前につく言葉は一定です
    1. 「れる」「られる」 受身・尊敬・可能・自発
    2. 「せる」「させる」 使役
    3. 「ない」「ぬ」「ん」 打消
    4. 「う」「よう」 推量・意思・勧誘
    これらの助動詞に対して正しいのは「努力される」「努力させる」「努力しない」「努力せぬ」「努力しよう」です。
    他は全くの誤りだと私は考えます。この他があり得ないと感じることは漢字一文字のサ変動詞とは少し違いますね。
    罰せられる」のほうが正しいとしても「罰される」は一定程度は使われますから。

    3:漢字一字の単語の変形は漢字音の発音次第である。
    リンク先の方がおっしゃっていることが正しいかは私は知りませんが、彼はそのように言っていると思います。

    2:「五段化に抵抗がありません」、「抵抗」は具体的に何を指しますか、サ変動詞を五段化動詞に転じる傾向ですか?(たとえば、科する->科す)
    サ行変格活用の動詞は、基本的に漢語由来のものです。
    漢語とは古代から中世にわたって、文化交流によってChinaの言葉をとりいれたものです。
    それに、「す」を付け加えたことによって生まれた動詞がサ変動詞だと理解してよいと思います。
    (この「す」は現代では「する」に変化しました)
    それとは別に和語というものがあります。これは日本の固有の言葉だとされています。
    今では和語に漢字があてられることで、書き手がどういうつもりで書いているのか解りやすくなっています。
    日本の漢字辞典で「音」「音読み」とあれば(ほぼ)漢語、「訓」「訓読み」とあれば(ほぼ)和語です。

    漢字一文字のサ変動詞のうち、和語に似たような音の言葉がある場合は、
    和語で行う活用法と同じように活用することに話者の違和感が少ないので、
    長い年月を経て、誤用が一般的になったという話をここではしているのだと思います。
    その「違和感がない」ということが「抵抗がありません」ということだと思います。
    それをマクロな視点で「サ変動詞が五段化動詞に転じる傾向」といっても間違いではないでしょう。

    色々と説明が拙くて申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。
     
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