車を乗る v. 車に乗る

ichfrage

Senior Member
Chinese
辞書を引くと、“車に乗る”だけは正しいですが、“車を乗る”と言う使い方が正確ではない。
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でもグッグルしてみれば、下記の用法が見つかりました。

新卒者必見!すぐ車を乗るには?新車のKINTOか中古車か!?

私の理解は

“車に乗る”とは“私が車を運転してない、ただ乗客にしてます。

“車を乗る”とは“私が車を運転します”という意味です。

この理解は正しいですか?

ありがとうございます。
 
  • 「車を乗る」という表現は誤りです。「車に乗る」は車を運転する意味にも誰かが運転する車の乗客になる意味にも使われます。この文章は、ある自動車ディーラーのブログを引用したものですね*。自動車の製造、販売に関係する人々が使う、所謂業界用語に「車を乗る」という表現があるのかもしれませんが、一般社会には普及していないと思われます。



    *これはモデレーターとしてのお願いですが、ネット上の公開の場所にあるテキストを引用する場合は、必ずURLを示してください。
     
    Last edited:
    「車を乗る」は誤りです。
    しかし、「車を乗り回す」「車を乗りこなす」などは正しい表現です。「バイクを乗り回す」、「自転車を乗りこなす」なども正しい表現です。

    ただし理由については、conventionだからという以外の説明は困難です。
     
    "*車を乗る*"を使って検索してみると,かなりの数を見付けられますね。Flaminiusさんが#2で指摘なさっているように,「業界用語」としては広まりつつある言い方なのかも知れませんね。意味は,ichfrageさんが仰るように,'車を運転する'が一番合うと思います。でも奇妙に感じる方はまだ大勢いらっしゃるでしょうね。私も使いません。Ouora「〜を乗る」と言う表現は正しいと受け入れられ始めているのでしょうか?[...]
     
    「<輸送手段>を乗る」という表現はそのままでは私には容認できませんが、ちょっと手を加えるとかなり容認度が上がることに気づきました。もしかすると私自身も気づかずに使っているかもしれません。以下が例です。
    このような順番で回ろうと思っていますが、氷河特急どこまで乗る(出典)
    さてこのバスどこまで乗る迷います (出典)
    壊れるまで乗る場合』は (出典)

    どういう理由か分かりませんが、「Nを__乗る」の__の部分に「Xまで」という副詞句を挿入すると自然な文になることを発見したように思います。他にも容認度を上げる条件があるならば、初めからそんなものがなくても「を乗る」を自然に感じる人がいることは不合理とはいえないかもしれません。
     
    そう言われれば,そうですね。その文脈での「[X]を乗る」は'[X]を運転する'ではなくて,'[X]を(乗客として)利用する'となりますね。これらの事は,「基本動詞ハンドブック」の「乗る・載る」では,残念ながら,まだ扱われていない様です。
     
    「基本動詞ハンドブック」の「乗る・載る」では,残念ながら,まだ扱われていない様です。
    そういう時は、より基礎的なデータ集積を見ることにしています。

    そこで「を乗る」をクリックすると、「道路を乗る」というコロケーションによる類別があります。4件しかない中で唯一真正な例が
    高速度道路何処まで乗っても
    です。珍しい例ではありますが、Joschlさんのいうとおり(#6)、「を乗る」には「利用する」という意味があるとすれば納得できるものでした。
     
    NINJAL-LWP for BCCWJ」は全く存じませんでした。教えて下さって有難うございます。このデータベース内では,'[公共交通機関]を利用する'という意味で使われている例文が,別に二つあるように思います。この例文には,Flaminiusさんの例文(#5)に見られるような副詞節による拡張はありませんね。
    通学に電車を乗らなくてはならなくなったのですが,疲れは溜まる一方です。
    あれにいく時,電車を乗ったら,自分の席の斜め横に立つ男の人になんだか見覚えが...
     
    そうですね。私には不自然に感じられますが、散見される形態であることは事実です。もともとichfrageさんの持ってきた文章もこの用法の例なわけです。

    同じ場所の別の類別には(区間を乗る)、
    当時試運転中の区間を列車に乗った。
    自由周遊区間を乗りまわって出発地へ戻ってくるまでのB券
    とか、「帰りに同じ距離を別のタクシーに乗ると」(距離を乗る)とか、「船橋駅を6時53分の電車に乗ると…」(駅を乗る)のような例があり、どれも私は自然な文と判断してしまうのですが、文法的解釈が難しいので困ってしまいます。
     
    みなさんと同じように「に乗る」が唯一正しいと思いますが、
    コーパスを検索すると、に・への互換性によるものなのか「へ乗る」の例もありますね。

    汽車へ乗つた頃には首巻を取り外して、平素と少しも違はないやうになつた
    そのハイヤーへ乗ったのは、ひばり、喜美枝さん、お付きの関口範子さんに僕の四人だ。
    私も車へ乗った。

    どれも書籍からのもので校正がかかっていると思われます。
    「汽車へ乗った」「ハイヤーへ乗った」をそこまで不自然に感じないのに対して、
    「車へ乗った」には違和感を覚えるのは「車に乗る」の使用頻度の高さのせいでしょうか。
     
    「乗る」という動詞の意味と結合価(valency)の変化が同時に起きている所を直に観察できている感じがして,興味深いですね。"駅を乗る"というコロケーションの例文は,私の目にも留まりました。特に,「船橋駅を6時53分の電車に乗ると…」の「を」をどう解釈すべきなのか分からずにいます。掲載されている別の例文を, その格助詞を元の「を」から「で」に替えたものと並べてみると,
    最寄りのJR笹原駅予定通り熊本行きにのりました。
    最寄りのJR笹原駅予定通り熊本行きにのりました。
    となりますが,私にはどう捉えたら良いのか分かりません。今頭に浮かぶ構文は,「[場所]を右折/左折する」というものですが,その「を」と同じ又は似たものなのかも知れません。

    格助詞「に」と「へ」が本来持っていた意味的な違いが薄れて来ているために起こっている現象なのかも知れませんね。私自身が最も気になる「[X]を乗る」という構文と「[X]に/へ乗る」という構文の違いは,「[X]に/へ乗る」という構文内の「乗る」自体の意味は,格助詞を替えても,そのままであるのに対して,「[X]を乗る」という構文内の「乗る」の意味は文脈によって変化するということです。'[X]を運転する'と特殊化することもあれば,'[X]を(乗客として)利用する'となったり,次の様に'(自家用車の)[X]を使う'と,ある意味で一般化しているとも取れる例もある様ですね (もっとも'運転する'という意味に取れないこともないですが...)
    主婦ですが,主人の車をマイカーとして共通で乗ってます。
    姉と私は一台の車を乗ってるのですが,ガソリンの減りは私の方が早いと言われます。
     
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